尻海(しりみ)は朝日寺の歴史を語る上で欠かせない地区です。
もとは漁業と廻船業で栄えた港町でした。
有力な廻船問屋も複数あり、その力を背景に朝日寺は興復され、当時の尻海を象徴するものも境内には保存されています。
地域の神社は地域内に位置することが多いですが、お寺は少し人里離れた場所に位置することが多いです。それはお寺へ参ることは一種の『修行』であり、あえて少し不便な箇所にある方が信仰を深められたのです。
朝日寺は邑久町庄田(しょうだ)という集落のド真ん中にありますが、歴史的には尻海の人にとって歩いて参る菩提寺という意味合いの方が大きいのです。動画内でも触れていますが、尻海の方々は約2kmの山道を歩いて『よみあげ(=投げ銭供養の地元通称)』や『花まつり』に参詣していたのです。
この動画はただの思い付きで撮影したもので、全てテイクワンです。
他にも朝日寺ゆかりの地区は多数ありますので、当動画が好評であればシリーズ物を企画致します。