故・若松隆英名誉住職の通夜式ならびに葬儀告別式は滞りなく終わりました。
以下、ビデオ・写真集・弔辞(檀信徒代表)・喪主挨拶、です。
↓朝日寺だよりで振り返る隆英住職↓
檀信徒代表弔辞(全文)
朝日寺檀信徒を代表して弔辞を申し上げます。
名誉住職には長い間朝日寺を守って頂き本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でございました。
まだ若くしてのご遷化、誠に痛恨の念に堪えません。ここにご冥福をお祈り申し上げます。
私が名誉住職に初めてお会いしたのは40年以上前のことです。先代住職がバイク事故に遭った後、若いおじゅっさんが我が家にお参りに来られました。何度かお会いし、とても真面目で先代とはタイプの違うおじゅっさんだなと思いました。
私は檀家総代になってから22年になります。奇しくも同じ22年前から病と闘っていたとは知りませんでした。本当に大変な中で檀務をこなして来られたことに感服します。 一連の境内整備事業に私も関わりましたが、とても周囲に気を配り、苦労もしていたことを私は知っています。
今の朝日寺があるのは貴方のおかげであり、第14世として歴史に名が残されます。本当にありがとうございました。
最後に、この度は誠に残念ではありますが、後継者にも恵まれ朝日寺は続いていきます。我々檀信徒は新住職とともにお寺を支えて参りますので草葉の陰からお見守り下さい。これからもよろしくお願い申し上げ、弔辞とさせて頂きます。
令和2年7月31日
葬儀委員長 清水佐伯男
喪主挨拶(全文)
喪主としてご挨拶申し上げます。
皆様、本日はご多用中にも関わらず朝日寺第14世隆英の葬儀告別式にご参列賜り、誠にありがとうございます。
「まだ若いのに」と多くの方が仰られますが、実は故人は22年にわたり闘病しておりました。むしろよくここまで長生きしてくれたものと思っております。
故人は昭和23年に当地で生まれ、学卒後は教員を務めておりましたが、先代住職の正隆が交通事故に遭い、朝日寺を助けるべく退職して副住職となりました。 以来、僧侶としての人生を本格的に歩み始めたわけですが、本人の目には朝日寺の境内は至る所が傷んでいると映ったようで、そこから島岡篤総代長と共に、長い修繕事業をスタート致しました。
おかげで土塀に始まり、本堂、客殿の修繕、庫裏の新築、そして平成20年の駐車場新設まで一通りの境内整備が出来ました。檀信徒の皆様には心よりお礼申し上げます。
ただし、長期間の修繕事業は想像絶するほどの苦労があったと思います。 50歳を手前にして癌に侵されるようになりました。私が高校生の時です。「どんなに体を切り刻まれてもいいから僕は生きる!」と言っていたのを思い出します。
以来、これまで転移や再発を幾度も経ながら生きて参りました。 御本尊お薬師さまのお加護もあったのでしょうか、数年前病院に付き添った時、先生から「こんなに長く持ってるのは仏様がついてるとしか言えないですね。」と言われたのが印象的です。
しかし故人はそれをひたすら隠し、人前ではいつも気丈に檀務に励んでおりました。「檀家さんに不安を抱かせてはいけない」との思いからでした。 危ない時期が何度かありながらも、それを乗り越えて参りましたが、今回はついに力尽きたようです。
晋山式で住職のバトンタッチを皆様の前で披露出来なかったことは大変残念です。残念ですがよく頑張ってくれました。
私はこちらに着任してから10数年、寿命に至らず亡くなった方を何人も見て来ましたが、今回の経験でより一層ご遺族の思いに寄り添うお勤めが出来ると思います。
さて、朝日寺としては大きな戦力を失いました。 住職と副住職、2人でしていたことを維持していくのは非常に困難です。この寺を維持するには檀信徒一人一人の更なるご協力が不可欠です。今後ご無理を申すことが多くなるかもしれませんが、今後とも朝日寺をよろしくお願い申し上げます。 本日は誠にありがとうございました。
令和2年7月31日
喪主 若松 慶隆