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除夜の鐘

今年も大晦日の除夜の鐘が近づいてきました。




さて、朝日寺の釣り鐘は太平洋戦争の際に国への供出が求められ、それ以来鐘楼堂には釣り鐘がない状態となっていました。
(写真左:太平洋戦争時に持ち出される梵鐘)
しかし、朝夕聞こえていた鐘の音が聞こえないのは寂しいとの声が高まり、現在の新しい釣り鐘が昭和49年におさめられました。その鐘の除幕式では、待ちわびた大勢の人々で賑わったそうです。(写真下:その時の様子)

清らかな鐘の音は全てを清めてくれます。鐘をつきながら1年の間に心に積もったものを清めて新年を迎えます。
「除夜の鐘」と「初詣」はワンセットの行事です。例えば節分で言うところの鬼は外にあたるのが除夜の鐘であり、福は内にあたるのが初詣です。新年に福を呼び込むためにはまず、今年のうちに自分の心を清らかにすることです。


12月31日 午後11時45分〜 除夜の鐘
おすなふみ参道をろうそくで照らし、お接待を用意してお待ちしております。


『偽』

今年もあと少し。拙寺も年末年始の準備に迫られ段々忙しくなっている時期であります。

さて、先日清水寺で2007年の世相を表す漢字が『偽』と発表されました。もちろん偽装の『偽』です。建築物の偽装・番組の捏造・食品偽装…などなど今年は(も!?)いろんな偽装がありましたね…。
自分の目標を果たそうと努力しても、厳しい競争社会の中ではそれが満たされることもあれば、満たされないこともしばしばあろうと思います。そんな中で安易に欲望を満たそうと手を出してしまったのが偽装ではないでしょうか。しかも悪事というのは残念ながら1度手を出してしまうと自分でそれを断ち切るのは非常に難しいことのようで、どこかで露見するまで続いてしまいます。
やはり悪事はいつか露見し罰を受けることになると言うよりも、むしろ悪事は露見するまで止まらなくなってしまう、という方が正確ではないかとさえ思えます。
一旦こうなれば今まで積み重ねてきたプラスの部分も根こそぎ失い、その信頼を取り戻すにはもっともっと長い時間と努力や誠意が必要になります。後々から考えれば絶対に割に合わないのは言うまでもありません。必ず自分が損します。
つまり確実に言えるのは、単純ですが「悪いことには手を出すな!」ということです。

清水寺の貫主さんも「『偽』になるとは残念な年だ」とのコメントをされていましたが、見掛けだけ・上辺だけ良く見せようとするのではなく、中から滲み出るような良さを持ちたいものです。

2007年12月13日
住職 若松 隆英



袈裟にまつわる話

僧侶が法要の時に身にまとう袈裟。袈裟は小さな布をパッチワークのようにつぎはぎして出来ているのをご存知でしょうか。

昔々ある日、貧しい村の家々を説法して廻っている僧侶がいました。あるお家の人が説法を聞き、「お礼に何か差し上げたいけど、家は貧しく何もありません…差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです…。」と言ってその布を差し上げ、僧侶は洗ってはあるものの、その糞に汚れて、黄色くなっている布をありがたく頂いたのです。
(この時代に布は大変貴重なものだったそうです。ちなみに「御布施」という言葉もそこから生まれている。)
 そして僧侶はそんな善意の布を寄せ集めて、つぎはぎだらけの着衣を作って身にまとったのです。これが袈裟の成り立ちです。そのような成り立ちから、昔は『糞掃衣(ふんぞうえ)』とも言われました。ですから基本の袈裟は今でも黄土色で小さな布を繋ぎ合わせた物になっています。
 しかし、後になると『大袈裟(おおげさ)』という言葉も生まれたように、儀式によっては華美で装飾的な袈裟が用いられるようになっていますが、袈裟を初めて作ったお坊さんのような感謝の気持ちと謙虚さを持っていたいものです。

2007年12月4日
副住職 若松 慶隆



冬を迎える秋

すっかり秋が深まり、紅葉がきれいな今日この頃です。赤や黄色に色づいた木々のコントラストが非常にきれいで私達の目を楽しませてくれます。
さて、こうして私達は秋を楽しむことができますが、他の動物達はそうはいきません。間近にやってくる冬に向けて、自らの冬支度のため、子に命を伝えるため…今に一生懸命です。
例えばサケは海から川へと帰っていきます。海はエサが多く、大きな身体に成長するわけですが、道には危険もいっぱいです。子供が安全に育つ事を願って川へ帰ってゆきます。厳しい川の流れに逆らって川をのぼり、卵を産めばそこで御役御免。最後の力を振り絞って子孫を残し、生涯を閉じます。
リスは今、山のあちこちに落ちているどんぐりをいっぱい口に入れては巣に持って帰り、貯蔵しています。働き者のリスは春にエサが見つかる様になるまでの冬の間、ゆったりと過ごすことができます。
人間は長い間祖先が積み重ねてきた努力の結果、それによって冬を乗り切るための様々な術を獲得してきました。厳しい冬を迎える為の準備をする動物達がいる一方で紅葉を楽しめる人間。つまり例に挙げた動物達と同じく先人の頑張り無しには現在の私達はありません。
先人の努力・叡智に感謝です!

2007年11月16日
住職 若松 隆英



播州路を訪ねて(10月30日)

秋恒例の日帰りバス旅行。今回は10月30日(火)に若松正隆名誉住職の姉3人の嫁ぎ先(いずれも播州地方)のお寺にお参りする旅でした。





午前8時ごろに出発。
今回はバス2台、60名の方が参加されました。




まずは四姉の嫁いだお寺、観音寺(兵庫県宍粟市)に到着です。




本堂にて全員で般若心経などをお唱えし、住職より「反省と感謝」についての法話をして頂きました。四姉(93)も元気にお迎えしてくれました。




次は二姉の嫁いだ安養寺(宍粟市)です。
まずはここの参道の石段で記念撮影を行ないました。




ここでも本堂で般若心経などをお唱えし、住職より「過去帳から見えたもの」について語って頂きました。




次は芳賀温泉楓香荘に移動して昼食です。




紅葉の見ごろはまだでしたが、日本の滝100選の「不動の滝」を楽しみました。




午後は今日最後のお寺、長姉の嫁ぎ先、瑠璃寺(佐用町)にお参りしました。




ここでも般若心経などをお唱えして、住職より「瑠璃寺の歴史」についてのお話をして頂き、しばらく広い境内を散策しました。

この後は道の駅に寄りながら帰路に着きました。
普段お参りしないお寺へのお参り、普段目にしない景色、各住職様の心に響く法話、参加者同士の交流…などなど楽しんで頂けたかと思います。
本日ご参加いただいた方、ありがとうございました。そしておつかれさまでした。

2007年10月30日



秋になって

いつまで続くものかと思われた暑さも10月に入り、ようやく秋らしい気候になりました。長く厳しかった夏の疲れもこの涼しさで自然に癒されることでしょう。境内の彼岸花もやっと10月に入って顔をのぞかせ始めました。このまま地球の温暖化が進めば彼岸花という呼び方も段々廃れてくるかもしれません。

さて、
「果報は寝て待て」ということわざがありますが、これは「寝て」ではなく「練って」の間違いだという説があるようです。
黄金色に色づいた田んぼの稲の刈入れは、今までの苦労が実になる時です。
また、
「天高く馬肥ゆる秋」ということわざがありますが、これには「馬肥ゆる」ではなく「馬越える」だとする考えもあります。
昔の中国では収穫を終えた農民は為政者達によって戦いに狩り出され、高い壁を乗り越えて兵隊がやって来るのがこの秋だということです。

活発な活動のしやすいよい時候はすぐに過ぎてしまいます。異常気象の今日ではなおさらのことです。仕事に遊びに又思索に充実した秋を過ごしましょう!

2007年10月3日
住職 若松 隆英



お彼岸とは、どのような日でしょうか?


―――お彼岸とは、どのような日でしょうか?―――【高野山 生かせいのちより】

お彼岸の時期は春と秋と年に2回あります。
彼岸とは、到彼岸とも言い、こちらの岸(現実の世界)から、川を隔てた彼方の岸(密教浄土)に至ることを言います。彼岸には大日如来の子としてご先祖様がいらっしゃいます。私たちは、祖霊を供養して彼方の岸へ至らしめる、船頭さんの役目を持っています。
この船頭の役目を果たすために、仏教では六波羅蜜(ろくはらみつ)という実践項目を大切にしています。

?布施(ふせ)
一般には、お寺やお坊さんに差し上げるお金のことを、お布施と言うようですが、本来は慈悲の心で清らかな心で施しをすることが、真実の布施ということです。常に奉仕させていただく気持ちです。

?持戒(じかい)
国に法律があるように、常に決まりを守っていこうという心構えです。特に不殺生戒(くせっしょうかい:命を大切にする)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい:他人から物を奪ってはならない)、不邪淫戒(ふじゃいんかい:ふしだらな行為をせず、美しい付き合いをする)、不妄語戒(ふもうごかい:うそを言ってはいけない)、不飲酒戒(ふおんじゅかい:酒を飲まないようにする)が挙げられています。

?忍辱(にんにく)
何事にも耐える心を持ちたいものです。私達は先祖のご苦労に感謝すると共に、お大師さまの教えを聞き、お大師さまへの帰依、信心を深めることで、何事にも耐えていく心を養うことができます。

?精進(しょうじん)
自分に与えられた仕事は、誠心をこめて努力することです。苦しいことに耐え忍んで努力いたしましょう。

?禅定(ぜんじょう)
自分の行動に対し、ゆとりある心から正しい判断をすることです。常に平常心を保ち、正しい判断をすることによって安定した生活ができるのです。

?智慧(ちえ)
先祖崇拝をいたしましょう。私達が生きていくには、物事を正しく判断する能力を養う必要があります。先祖の徳に感謝して、物事を静かに考えて、適切な判断をすることが智慧ということでしょう。

以上の六徳目を実践し、今は亡きご先祖さまの徳をしのび、法事や墓参りをして日本の素晴らしい習わしとしての彼岸行事を守っていきましょう。

南無大師遍照金剛

2007年9月20日



1匹のバッタに思う…

なかなか涼しくなりません。
一雨欲しい今日この頃ですが、久しぶりに雨にあった8月末の夕方、雨を待っていたのは人間だけではないのだ、という思いがしました。鐘をつこうと夕方6時半ごろ玄関を出ると1匹のバッタが目に付きました。お尻を地面に突っ込み、時々手足を動かしていました。そして鐘をついて帰りがけにも少し場所を移してお尻を地面に突っ込んでいました。
地面に卵を産んでいたのだと思いますが、からからに乾いた地面では穴のあけようがなく、一雨待っていたのでしょう。役割を果たした親バッタは秋の深まりと共にその一生を終えていきます。産みつけた卵は来春を待って幼虫が誕生することでしょう。

一方、人間は生まれてからも長く親の手が必要です。オオカミに育てられた少女の話がありますが、インドでオオカミにさらわれ、洞窟で生きていた少女は人間に発見されて連れ戻されました。しかし少女は人間の生活には馴染まず、いつまでも四つ足で歩き、夜になると遠吠えをあげていたのです。
赤ちゃんは親に育てられて段々人間らしく成長してゆきます。近頃凶悪事件の数々が報道されていますが、これは核家族化などによる人間関係の希薄化が多分に影響していると思います。
親の、祖父母の、長い間をかけて習得してきた人間としての智恵が若い人たちに伝わりにくくなっていることが、現代の社会をうみだしているような気がしてなりません。どんなに日進月歩の現代とは言えども、人として大切な智恵は今も昔も変わらないはずです。
日本の未来のためにも先人の智恵はしっかり伝えていきたいものです。

2007年9月9日
住職 若松 隆英



人生の寒暑を回避するには…

先日総アクセス数2000件を達成しました。1000件突破の時にも申しましたが、これはひとえに継続的に見て下さる方がおられるお陰であります。
この間には遠方からメールを下さった方や当HPで朝日寺を初めて知ってお参り下さった方もおられ、また先日の棚経の際には当サイトに関する声をたくさん頂き、管理人として大変ありがたく思っている次第です。

さて、その棚経でお渡しした高野山からの読み物「生かせいのち〜人生の寒暑を回避するには〜」を今回ここに掲載しますので、まだ読んだことのない方はぜひ一読下さい。

2007年8月29日
管理人


――人生の寒暑を回避するには――

お盆も近づき、暑い日が続いています。こんな時、ふと口に出るのは「暑いなー」という言葉です。文句を言ってもどうにもならないのですが、つい口に出てしまいます。
昔、中国の洞山和尚の所へ一人の僧がやってきて、
「人生の寒暑(いろいろな苦しみ)が到来した時は、どう回避すべきか。」
と質問しました。すると和尚は
「寒い時には寒さになりきり、暑い時には暑さになりきる。そうすれば人生の苦も苦でなくなっていく。」
と答えました。
 人生の苦は、反抗しても、逃げようとしても、どうしても避けられないものがあります。老いもそうであり、死もそうであり、愛する者との別離もそうです。避けられないものとすれば、それが自然の道理と達観し、反抗することなく、逃げることなく、それとひとつになっていくのが大事です。
『五体不満足』を書いた乙武洋匡さんは、生まれた時から両手両足のない障害者でした。その後、15センチほどの手足が出てきましたが役に立ちません。しかし、これが自分の天与であると割り切り、人と比べることもなく、むしろ自分の個性であるとし、日常生活のすべてをこなし、電動椅子で自由に行動し、早稲田大学に進み、全国各地へ月10回も講演に行き、今年4月から小学校の教員をすることになりました。五体不満足のために説得力があり、人々を感動させ、勇気づけることができるのです。
「水は方円の器に従う」という言葉があります。水は一切反抗せず、無心であり、柔軟です。方円の器に従うだけでなく、熱すれば蒸発し、冷やせば氷り、素直に周囲の条件に従っていきます。しかも本性を失わず、万物を生かしています。私たちもこの心になれば、寒くてよし、暑くてよし、苦もまた人生を学ばせてくれるものとして、上手に受けとめていけます。

南無大師遍照金剛



10月30日(火)日帰り寺めぐり〜播州路を訪ねて〜 参加者募集!

朝日寺では恒例の寺めぐりとして、今年は朝日寺名誉住職・若松正隆師の実姉が嫁いだ3ヶ寺(いずれも播州地方)を訪れ、紅葉に色づいた北播州の景色を楽しむ旅を企画致しました。
どなたでもご参加頂けますので、ご家族・友人知人等お誘い合わせの上、ぜひご参加下さい。皆様のご参加を心よりお願い申し上げます。

概要

期日:平成19年10月30日(火)【雨天決行・日帰り】
出発:朝日寺を午前8時
   (邑久町内の主要箇所はバスで巡回します。配車の都合により具体的な
        乗車場所・時刻は申込者に後日連絡致します。邑久町外の方につきま
        しては、基本的に邑久駅まで来て頂くか、直接朝日寺まで来て頂くこ
        ととなります。)
費用:5000円 (昼食代・旅行傷害保険代を含む)
期限:10月15日 締め切り
募集人数:バス2台予定。定員になり次第、締め切ります。
     人数が集まらない場合は中止することもあります。
訪問先:高野山真言宗 瑠璃寺…朝日寺名誉住職若松正隆師の長姉の嫁ぎ先
    高野山真言宗 安養寺…     〃       次姉の嫁ぎ先
    高野山真言宗 観音寺…     〃       四姉の嫁ぎ先
    芳賀温泉楓香荘   …昼食場所。日本の滝百選。紅葉散策。
                                など
                     17時半ごろ朝日寺帰着予定
お問い合わせは朝日寺
メール chonichiji@minos.ocn.ne.jp または
電話 0869−25−0739   まで。

2007年8月26日
庄田山朝日寺



「修行」と「修業」の違い。

今まであまり深く考えたことはありませんでしたが、同じ「しゅぎょう」という言葉でも「修行」と「修業」2つの表記を目にします。
例えば、「○○の修行を積む」というものもあれば「△△職人の修業をする」という文面も見かけます。
しかし、仏門に関して言えば「修業」という表記はほとんど目にしません。
また、仏門修行のことを「加行(けぎょう)」と言ったり、単に「行(ぎょう)」と言ったりしますし、滝に打たれることを「滝行(たきぎょう)」、水に浸かることを「水行(すいぎょう)」と言うように、全て「業」ではなく「行」です。

では「修行」と「修業」の違いは何でしょうか。

調べてみますと…
?「修行」とは仏教用語で、悟りを開くためにする肉体的・精神的な鍛錬のこと。
?「修業」とは学問・職業や技芸を身につける訓練のこと。

つまり、「修業」とは業を修得することであるから、「修業」には終わりがあり、ある地点に達すると卒業となる。一方「修行」には終わりがなく、どこまでも追求するものである。そこが両者の一番の違いです。
そして特に技を追求する職人の世界等で、?が派生して「修行」を使うようになったようです。

この意味の違いを知った上で、巷で目にする「修行」「修業」に注目すれば、意図されたことが見えてくるはずです。

2007年8月22日
副住職 



水まつりが行なわれました。

毎年8月15日恒例の水まつりが今年も行なわれました。
水まつりはお盆にお迎えした先祖の霊を送り返すための法会ですが、特に家族・親族が初盆を迎えられた方にとっては、その思いも一入だったことでしょう。




まず午後8時から客殿で御詠歌の奉納が行なわれた後、お盆に関する法話が住職よりなされ、法要を営みました。最後には般若心経などを全員でお唱えし、荘厳な空気に包まれました。




法要の後は精霊送り。各人が持ち寄ったちょうちんが飾られた境内で、おかんきがお唱えされる中、ひとりずつ塔婆に水をかけて霊をお送りしました。

一方で我々寺の中の人間にとっての水まつりは、「今年も無事に棚経が終わった」という気持ち、そして「よみあげが本格的な夏の到来を感じさせるのに対し、水まつりが終わると夏の終わりを感じさせる。」という気持ちを抱かせるものです。しかし、今年はまだまだ残暑が厳しそうです。(「今年は猛暑」と毎年言われているような気がしますが…。)くれぐれもご自愛なさって残りの夏をお過ごし頂きたいと思います。

2007年8月15日



8月15日 水まつりのご案内

棚経も中盤に差し掛かって参りました。
さて、朝日寺では来たる8月15日の夜に恒例の「水まつり」を行ないます。
各ご家庭でお盆の間におまつりしたちょうちんを境内に飾り、精霊棚に置かれた塔婆にみんなで水をかけて、お盆に迎えた御先祖の霊をお送りします。
どうぞみなさまご参加下さい。

概要

8月15日(水)  午後8時〜 客殿にて法要
    (法要は初盆を迎えた方を対象としています。)
          午後9時〜 精霊送り

※当日はちょうちんをお持ち下さい。
  また、外で行ないますので虫除け対策を各自お願いします。

2007年8月6日
庄田山朝日寺



もうすぐ棚経が始まります。

梅雨も上がり夏本番ですが皆さんお元気でしょうか?
今年も7月31日より恒例の棚経が始まります。
棚経と言えば、お盆に先祖の霊をお迎えするために僧侶が各檀家様宅を訪問して読経することですが、元々は僧侶が家に上がることはなく庭先で読経し、軒先に置かれたお布施を受け取る、という現在とは全く違う形態をとっていました。(現在もこの形態を取っている寺院もありますが。)
 これが現在の形態になった理由は大きく分けて2点あると思われます。
 まず、現在これをやった場合、田舎ならまだしも、特に都会ではトラブルが発生する恐れがあると思われます。
 そしてもうひとつ。元々の形態をとった場合、その年に法事等がなければ、一度も住職と顔を合わすことなく年を越す、ということも人によってはあり得るでしょう。やはり一年に一度ぐらいはほんの数分間でも檀家様と向き合う機会があるのも良いことだと思います。

 最近は様々な事情で、都市部を中心に棚経を取り止める寺院も見受けられるようですが、できればいまの習慣を守りたいものです。これからお邪魔する檀家様にはよろしくお願いします。
 また最後に県外等、遠方のお宅にはお参りできないのが心苦しいところではありますが、今一度ご先祖様に感謝し、くれぐれもお身体には気を付けて、よいお盆をお過ごし下さい。

2007年7月29日
庄田山朝日寺



恒例の「よみあげ」盛大に執行

 

台風の動向が心配されていましたが台風は前々日に過ぎ去り、さらに今日は日差しも弱く、大変過ごしやすい天候の中、よみあげ(投げ銭供養)を無事盛大に行なうことができました。

 まずは本日お参りされた全ての方々、おつかれさまでした。
 皆様この日には、それぞれの思いを抱かれてお参りされたことでしょう。今一度大切な故人への思いを確認されて帰路に着かれたことと思います。
そして本日もこの行事のためにお手伝いして下さった方、本当にありがとうございました。おかげさまで滞りなく投げ銭供養が行なえました。

これから7月末より8月15日の「水まつり」に至るまで棚経が続き、そしてその前後は夏休みの法事日和で、お寺にとっては1年で最も忙しい時期に入ります。
みなさんも体には気をつけてこれからの真夏をお過ごし下さい。 合掌





今年の講話は「脳卒中で倒れないために」と題して、国立病院法人・岡山医療センター脳神経外科医長の久山秀幸先生がお話されました。


人出は例年より若干少なめでしたが客殿の中はぎっしり埋まり、過去帳を読み上げる頃には客殿に入りきれない程の人で溢れ、賑やかでした。

2007年7月16日



伊勢大神楽の大まわし

西日本の2府11県を旅して回る伊勢大神楽(いせだいかぐら)の方達が一昨日、地元にやって来ました。
庄田地区では笛や太鼓、艶やかな獅子舞で1軒1軒全てのお宅を訪問して、無病息災や家内安全を祈祷し、最後に朝日寺境内で『大まわし』と呼ばれる芸を披露するのが恒例となっています。
もう400年も前から続く風習とのことですが、1軒1軒訪問するなど都会ではなかなか考えられない風習でしょう。

健やかな成長を祈ってチビッ子は獅子に噛んでもらい、にわか漫才、皿回しなどの芸を披露されました。
昔ほど人出はないものの、お年寄りや学校帰りの子供達が集まり、最後は大きな笑いと拍手に包まれてお開きとなりました。


《追伸》台風の行方が心配されていますが、無事によみあげが行なえますように! 合掌

2007年7月13日



掃除の功徳

今年も投げ銭供養まで1週間を切り、その準備に追われています。
この行事には一堂に大勢の人が押し寄せること、また、これから暑い夏に風通しをよくするために客殿のふすまや障子を毎年この時期に外し、大掃除をやるわけですが…さて、修行僧は「掃除には功徳がある」と師匠からよく言われたものですが、掃除の功徳について詳しく調べてみました。

「掃除の功徳」とは2500年も前にお釈迦様が諭されたもので
一、自分の心が清められる。
二、他人の心まで清めることができる。
三、周囲の環境が活き活きしてくる。
四、周囲の人の心も物事も整ってくる。
五、死後、必ず天上に生を受ける。
という5つの功徳です。

掃除をすれば物や部屋がきれいになるだけでなく、掃除をした自分の心もスッキリし、さらにそれを見た人の心も清められて、周りにも良い影響を及ぼすということです。

ちなみに「功徳」とは「よい行いの結果、手にすることができる恵み」のことです。

なるほど、みなさん笑顔で声を掛けてくれます。
そう言えば、境内を掃除している時に、偶然にもお参りのお客さんに出くわすことが多いと思えるのは気のせいでしょうか(笑)

2007年7月11日
副住職 若松 慶隆



知事とは何か。

最近テレビを賑わしてくれる宮崎県の東国原知事ですが、ところで市町村は市町村長なのに対して、都道府県の長は都道府県長ではなく、『知事』と呼ばれる役職です。
一体知事とは何なのでしょうか。
実は「知事」は仏教に由来があります。

仏教では隋の時代によく庶務を司り、財物を保護し、諸僧の希望するものに適応し、戒律をよく保ち、公正な心の持ち主、そんな聖者が「知事」という役職に任命され、寺院の雑事や庶務をつかさどりました。
つまりお寺にとって、知事とは諸々の修行僧のために重要な役割を担う(また、その資質がある者)役職だったのです。
その後、宋の時代に入り地方の府・州・県の長を知事と呼ぶようになり、それが日本にも入ってきて知事という役職が設けられたようです。
何気なく使う言葉にも意外なルーツがあるものです。

2007年7月3日
副住職 若松 慶隆



この地球の妙

水不足が心配されているこの地域にも、ようやく雨が降り出しました。
特に農家の方々はホッとされていることでしょう。梅雨のおかげで田植えができ、お米ができる。つくづくこの自然の妙には感心させられます。
さて先日、新聞に『地球とほぼ同じ条件を持つ星が見つかった?』との記事がありました。その星には水と生物が存在する可能性があるそうです。しかし、この記事を読んで私は逆にこんなことを考えました。

「星の数ほど…」と表記されるように、この宇宙には無数の星があるわけですが、現在の科学技術をもってしても、地球以外に生命の存在する星はいまだに発見されていません。
だとすれば、生命と文明の存在するこの地球はその存在自体が奇跡と言えるのではないかと。あらゆる微妙な条件が重なり合ってこの地球に生命が誕生したのでしょう。
しかし地球温暖化や異常気象など、奇跡によって与えられた地球を自らの手によって苦しめています。自然はまことに正直で嘘をつきません。
今こそこの奇跡の星地球に生きさせて頂いていることに感謝し、この地球上で起こっている問題にもっともっと目を向けていただきたいと思います。

2007年6月26日
住職 若松 隆英



今年のよみあげ概要

今年も恒例のよみあげ(投げ銭供養)まで1ヶ月を切りました。
今年は7月16日(月・海の日)午前9時より朝日寺客殿において開催します。

概要

9時〜   講話(今年は国立病院機構・岡山医療センター・脳神経外科医長の
         久山秀幸先生にお話して頂く予定です。)
9時45分 御詠歌
                  一、庄田山朝日寺(龍華)
                  一、父母感恩和讃
                  一、追弔和讃
10時〜  法要
                  一、前讃
         一、唱礼
         一、理趣経
         一、後讃
         一、過去帳読み上げ
         一、光明真言
         一、大師寶号
         一、回向
                                     以上11時半ごろ終了予定です

当日はこれらを簡単に解説した紙をお配りする予定です。
今年も大勢の方のお参りを心よりお待ちしております。
お車で来られる方は、庄田グランドや朝日寺墓苑を臨時駐車場としますので、誘導に従って下さい。また、それでもなお大変混雑が予想されますので、なるべく乗り合わせてお越し下さいますようお願い致します。

2007年6月19日
庄田山朝日寺


予定通り朝日寺写真館をオープン!!

みなさんお待たせ致しました!
先日のご報告通り、本日『朝日寺写真館』を新たに開設いたしました。

懐かしの写真から最近の写真まで91枚を一挙に掲載しております。「あぁこんなこともあったなあ。懐かしい!」と思われる方もおられれば、「へぇ〜こんなことがあったんだなぁ。」と思われる方もおられることでしょう。是非ごゆっくりご覧になって下さい。
もちろん写真は今回掲載している限りでなく、順次増やしていきたいと思っております。みなさまの中で懐かしの写真を持たれている方がいらっしゃいましたらぜひともご協力下さい。よろしくお願いします。

またこの度、読者様のご要望にお応えして、年中行事についての説明を少しだけ追加しました。こちらも行事を重ねる度により詳しいものにできると思います。

2007年6月8日
副住職 若松 慶隆



アクセス1000件突破 ありがとうございます!

このサイト開設から約3ヶ月。そのアクセス数が昨日1000件を突破しました。
今のところ主に法事などでお会いした際に口頭でお伝えしているだけなので、檀家の方でもこのサイトをご存知なのはまだまだごく限られた人数でしかないと思いますが、その中でこうやってとりあえず1000件突破できたのは他ならぬ、継続的に見て下さっている方がいらっしゃるお陰であります。
なかなかみなさんの意見を一度に酌むのは難しいのが心苦しいところではありますが、貴重なご意見・ご感想も多数頂いております。そういった声も参考に、より見て楽しいホームページへと改良していきたいと思います。どうか今後ともよろしくお願いいたします。

そんな中、『朝日寺写真館(仮称)』として、朝日寺の多くの懐かしの写真をこのホームページ上で一挙公開しようと、ただいま準備に入っているところです。またそれに伴い、年中行事の説明ページも加える予定です。
どちらも6月8日(金)に公開予定です。乞うご期待!!

2007年6月2日
副住職 若松 慶隆


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