朝日寺の境内をご紹介します。


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本堂

…1739年建立。
廃寺復興の際には、1728年に客殿が先に建てられました。 その後1734年に本尊薬師如来が修復され、本尊様をきちんとお祀りするべく、 さらにその5年後にこの本堂が建立されました。


  


本尊薬師如来(瀬戸内市重要文化財)

…1734年作。木造、像高119cm。
薬師如来とは人々を諸々の病から救うため、人々の健康など、十二の誓願を発する仏様です。 由来書きによりますと寛文6年(1666年)、廃寺の選に巻き込まれた際、薬師如来像はこっそり他所に移されて祀られました。 (ちなみに朝日寺大塔にあった大日如来像も廃寺の際に持ち出され、現在は兵庫県西宮市の西廣寺の本堂に西宮市指定重要文化財として安置されています。)

   

その後寺が復興し、本尊を納めようとしましたが、その傷みが激しく、住職の力だけでは如何ともし難かったため、 檀家から寄附を集め、京都の大仏師山田氏に修復を頼み、享保19年(1734年)、新築された本堂に安置したとの記述が見られます。

なお、普段は秘仏として扉が閉ざされており、33年に一度その扉を開く開帳行事(前回は昭和56年)を盛大に行なっています。 次回は平成26年、開帳大法会を行う予定です。



鐘楼堂

…1785年建立。
日曜・祝日以外の朝夕(季節で時刻は異なる)に各7回欠かさずついています。

毎年12月31日には「除夜の鐘」を行なっています。
戦時中はあらゆる金属類の供出を国から求められ、朝日寺の鐘も戦争の度に供出されてきました。 一番最近では太平洋戦争の際に供出されて長い間鐘不在となっていましたが、 「鐘の音が聞こえないのはさみしい」との声が庄田の方々を中心に高まり、 寄附が集められて昭和49年に現在の鐘が収められました。

Photo:夕日の鐘楼堂
供出された釣り鐘と昭和49年の除幕式の様子




四国八十八ヶ所おすなふみ霊場

…平成3年開創。
四国八十八ヶ所参りと同じ功徳が得られるように、と造られたものです。

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修行大師

…昭和62年建立。
若松隆英住職が第14代目住職に就任した記念に建てられたものです。




鎮守堂

…1750年建立。
朝日寺を守護するために造られた、不動明王をお祀りしているお堂です。
昔はここで雨乞いをやっていたそうです。




地蔵菩薩

…1798年建立。
寛政7年(1795年)7月27日に東海沖で起きた海難事故の死者11人の冥福を祈るためにその三回忌 (寛政10年)に船主川野屋が建立したものです。 台座部分には「和田津海に しづむ玉藻も うかべでよ ふかき契ひの のりの舟おさ」という和歌も刻まれています。

ちなみに寺に残っている明和2年(1765年)以降の過去帳によれば「神力丸バタン漂流」など十数件もの海難事故があり、 尻海の廻船業が盛んだったことが垣間見えます。




客殿

…1728年建立。
1666年の廃寺の後、長年の念願が叶ってまず建てられたのがこの建物です。 法事や行事、御詠歌など多目的に使用しています。

    

Photo 客殿


薬師像

…昭和59年建立。
本堂に安置されている本尊薬師如来像は33年に一度しか開帳されませんが、 いつでも気軽に手を合わせられる薬師像を、と弘法大師御入定1150年を記念して朝日寺密教婦人会が建立したものです。